インスタント沼(2009年)

主人公は目に見えるものしか信じない。でも母親は庭には河童がいるとか言う。不思議な存在は見えるとおもってる人にしか見えない。人のつまらない固定観念のくだらなさを沼から出る龍がぶっとばすみたいな映画で、言ってることはとてもいい。落ち込んだって蛇口をひねれば元気が出るとか。けれど、最後の最後で主人公にそれらを全部しゃべらせるっていうのはどうなのかなあ。伝わる自信がなかったのかな。それなら本編の表現を見直すべきで、これだと手抜き工事みたいにおもえてしまう。
あと加瀬亮を筆頭に主要キャラがみんなミスキャストだよなあ。てかキャラの造形が狙いすぎっていうかもっと普通でよかったとおもう。なんかもったいない。
それとちりばめられたギャグは8割すべってる。サービス精神は認めてもそれが空回りして失敗してる。なんかそれが味らしいんだけど・・。さわやかな話自体は大いに支持するけど人に勧められるかっていうと厳しいなあ。3点。

ティンカー・ベル(2008年)

超映画批評で100点だったんだけど、いつもながらいくらなんでも高すぎる。評価されているのは子供向けでありながら、テーマが実は大人向けだからと言うのだけれど、うーん。
ティンカーベルはものづくりの才能があったので、ものづくりっていう裏方の仕事をさせられる。しかし、ほかの妖精たちの華々しい仕事やその舞台である人間界に憧れ、自分の仕事に誇りを持てない。人にはそれぞれの個性と役目があって、みんながそれぞれの仕事をしっかりやることで世界が回るのだから、職業に貴賎はないよっていうのが前田さんの心を打ったらしい。
でも結局どうやってティンカーベルが春が遅れる危機を打開したかっていうと、工業化なんだよね。人間界にある道具が使えるなら発明の必要はないとおもうんだけど、それは置いとくとして、いままでコツコツやってきた妖精たちの立場がないよなあ。こんなに簡単にできることを長年誰も気がつかずダラダラやってて馬鹿みたいって話でもある。新米に追い抜かれるベテラン。次の年から失業者であふれる妖精界。
あと細かいことだけど、ネズミのチーズは完全にてなずけてたとおもうんだけど。アニメ技術もそこまで驚くものじゃなかったし、全体に詰めの甘い作品にみえたけどなあ。3点。

スラムドッグ$ミリオネア(2008年)

過酷な人生のなか一途に初恋の人を追い続ける感動ストーリーなんだろうけど、そんなにいい話ならなにゆえミリオネア形式でやらなければいけなかったのか。どうしてもそこに思いつき臭がして気に食わないなあ。
組織やマフィアのボスを敵に回して特別な才能も無いのに全部切り抜けるっていうのもご都合がすぎる。主要の3人もキャラが弱く、どういう人なのかいまいちわからなかった。深みが無いというか。ミリオネア部分も正解することはわかりきっていて、作品にメリハリをつけるどころか、まだまだ途中かーとおもうだけだった。
司会者だけがカイジの世界のキャラみたいだったけど、行動がいちいちリアリティに欠ける。映画だからしょうがないと割り切らないといけないところが多すぎて響かなかった。でもエンディングで突然ダンスはおもしろかった。そこに免じて3点。

グラン・トリノ(2008年)

さりげなくよかったのは、タオに工具の説明をするとこで、工具にはたくさんの種類があってそれぞれに使い道があるのところ。使い道の無さそうなタオもやればできるし、息子たちや孫からうざがられているウォルトでも隣人には慕われる。車と一緒でわかる人にはわかるみたいな。
しかし毎度のことながら結末はいかがなものか。暴力に暴力で対抗していては戦争は無くならないってことなのだろうけど、自爆することはある意味で暴力に屈してることにはならないかな。死ぬ気でなければ悪党はやりたい放題っていうのは希望がない。逆にそれしか解決の道がない、自分が死ぬか相手を殺すかの選択なのだとしたら、普通は相手を殺す選択になってしまうはずで、そうなると戦争に大義名分を与えてることになってしまわないか。
警察にどうにかしてもらえないのもおそらく、世界の警察を否定するためなんじゃないかなとおもうのだけれど、それらを解決できるようなうまい解決策はやっぱりないんだっていうこの残念感。ぶちあげたテーマは立派だけど、この結末ではすっきりしなかった。3点。

神様のパズル(2008年)

弟の代わりにゼミに出た寿司屋のロッカーが宇宙の作り方を研究するっていうななめ上の設定で、宇宙誕生の仕組みとコメディ要素をうまく融合させた前半は相当面白い。
久々に名作来たかとおもったのだけれど、後半はグダグダで意味不明。天才少女が日本のさまざまな施設をハッキングして本当に宇宙を作ってしまうっていう危機に、ギターを背負って雨のなか山道を駆けつける主人公っていう陳腐な展開w駆けつけたところで止められないだろと普通の人はおもう。そしてそのとおり別にたいしたことはしてないのに、少女が泣き崩れて宇宙創造を中止する。なんというご都合主義。
前半は意欲的でよかっただけに惜しい。エンディングの歌がすごいいい曲だなとおもったら作曲がハナミズキの人。その曲込みでおまけの3点。

風が強く吹いている(2009年)

致命的によくないとおもうのは、これが映画だってわかってるところ。どんだけ煽っても予選通過して箱根に出場するのはわかりきってる。
肝心の箱根でどんな面白い戦いになるんだろうと期待したけれども、区間記録との戦いだったりする。そんなのは超えたと言われたら超えるし、みてる側には区別も凄さもわからないし、どうにでもなる。友達の武勇伝みたい。シード権っていうのも同じでこっちはもっとわかりづらい。あれだけ歩いて無念みたいな映像のあと実は勝ってましたって、感情移入してかわいそうとおもった人がかわいそう。
速いだけのカケルの成長もいまいち伝わってこない。敵キャラ含めみんな存在感薄い。それに比べて小出恵介はひとりでおいしいところを全部持っていった。実力があってかっこよくていいやつw小出恵介ファンのためにあるような映画だった。
マンガ読みすぎのひきこもりキャラいたけど、最初からガタイよすぎて笑った。2点。

パンドラの匣(2009年)

これは原作が140ページぐらいの中編なんで映画版はほどよく省略されてる。原作との大きな変更点は雲雀の文通相手がつくしになっているのと、竹さんは原作では場長と結婚するからそこも変わってる。これがネタバレ禁止オチになってて素直にすごいなとおもった。
パンドラの匣とは有名なあらゆる災厄が飛び出したあとに希望が残されていたってやつで、映画でもあったように日本が戦争に負けたっていう背景をふまえての作品だったりする。雲雀が結核でありながら畑仕事で自分を痛めつけ死んでやろうとしていたってのも、もちろん無謀な戦争に突入した日本のたとえ。天皇が国民に対して敗戦を認めた日に、雲雀も母親に結核を告白して生きようと決意している。
原作にはそういう敗戦に絶望せず新しい時代を生きるというテーマに関係して自由思想とか米軍とか結構出てくる。映画ではそのあたりはあえて削ってる。いまが終戦後ではないし、退屈だからだろう。そのへんがよくできてる。新しい男として気取ってみせる雲雀もどこかおかしいし、よくできたコメディのようになってる。そのちょっと明るい感じが絶望の淵にあっても軽やかに生きようというテーマとも合ってるし、役者陣もみんなよかった。
雲雀ははじめから竹さんが好きだったのに、新しい男はこだわりを持ってはいけないから、わざと悪口を書き、マア坊を意識してるかのように振舞った。しかしその裏では竹さんの結婚話が竹さんも知らないうちに進行していて、その事実を知りようやく悲しみ後悔したりするはめになる。しかも馬鹿だとおもってたマア坊はそれらをすべて知っていた。これだけでもそれぞれ結構な絶望だ。そこからマア坊はあたらしい美しさを手に入れ、雲雀も竹さんを祝福し、さわやかに会話する。これぐらいさっぱりと生きられたらすばらしい。4点。
原作の最後の方にある越後の演説がちょっといい。手紙形式にしてみたり、脇役の演説で意見を述べさせたりと太宰自身は新しい男とはいえないなと。

献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。しかし献身には、何の身支度も要らない。今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧げてたてまつるべきである。鍬とる者は、鍬とった野良姿のままで、献身すべきだ。自分の姿を、いつわってはいけない。献身には猶予がゆるされない。人間の時々刻々が、献身でなければならぬ。いかにして見事に献身すべきやなどと、工夫をこらすのは、最も無意味なことである。